西村兄妹キモノ店

日々のお話

 

西村兄妹の交遊録⑦_茂山宗彦さん【後編】

2020.01.25

 

先週に引き続き、茂山宗彦さんとの

対談の様子をお伝えします!

前回は、家族で一緒の仕事をすることの

大変さや有難さについて

いろいろと語ってくださった宗彦さん。

お話は、お仕事へのスタンスや

モチベーションについてへと流れていきました。

 

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宗彦さん「仕事柄、狂言師にとってキモノは商売道具ですが、

おふたりにとってキモノってどういうものですか?」

 

MIZUHO「私にとっては、当たり前にあるものですね」

 

ヒロカズ「商売道具ということですが、

キモノと洋服で意識は変わりますか?」

 

宗彦さん「そりゃあ、キモノの方が数百倍気合い入りますね。

お稽古も練習着と洋服では全然違いますし、

舞台での衣装は晴れ着です。

自分がちゃんとしてないとキモノが可哀相になります。

しわの出方はもちろん、柄がちゃんと出てるか

サイズ感による見え方も常に考えています。

お仕事に限らず、ふだんでも

いい意味でいちびりたいときに着たり(笑)」

 

MIZUHO「私は、ハレとケの境い目なく

ワンピース感覚でキモノを愉しんでほしいと

思っているんです」

 

ヒロカズ「西村兄妹キモノ店は、立ち上げ当初から

『キモノをもっと身近に』という想いで

15年間やってきました。

僕の場合は、着る場の趣旨によって選んだり、

お会いする人との空気感でコーディネートを考えます。

キモノを着ることで、どう見せたいかも大事。

妹とのスタンスの違いを活かしながら、

自分たちのフィルターを通して

今だからこそやらないといけないことに

しっかりと取り組んでいきたいですね」

 

MIZUHO「そうですね。呉服店として深めていく部分と

外へと広げていくところを両立したいと思います」

 

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宗彦さん「うちの親父は、サラリーマンしてまして。

専業狂言師になったのは40代半ば。

僕に『釣狐』(注)を教えるために

勤め先を辞めてきたんです。

これはなかなかのプレッシャーでしたね」

 

ヒロカズ「それはけっこうシビアですね」

 

宗彦さん「父親も祖父も師匠ですから、

気楽な面もありましたが、正直しんどかった。

上手でないと話にならん、

ええもんを見せなあかん、

と教えられてきましたし、そのためには

自分が楽しくないとあかんのです」

 

MIZUHO「宗彦さんが、舞台に立つときに

大事にされていることは何ですか?」

 

宗彦さん「誰に向けてやってるのか、それが

何より大切やと思います。

自分の芝居を反省できるかどうか。

その上で、舞台に出たらその場にいる

誰よりも楽しくやってます。

同じものに共感して笑えるのが一番良い。

だからこそ、お客さんが前のめりになれる狂言を

常に心掛けたいですね。

一方的に投げてるだけならライブ(生)でなくていい。

場や間の空気をお客さんと共有できてこそ

僕たちが舞台に立つ価値が生まれる。

そういう意味では、日本一(客席から)

つっこまれる狂言師になりたいですね(笑)」

 

MIZUHO「共感、共有が大事って分かります!」

 

ヒロカズ「キモノを通して、和文化や風習、歴史や伝統の

美しさや素晴らしさに共感して

その価値を共有できるような商いを目指して

僕たちも挑戦的に進んでいきたいと思います」

 

宗彦さん「一緒に頑張っていきましょう」

 

ヒロカズ「心に響くお話の数々、

本当にありがとうございました」

 

MIZUHO「今後ともよろしくお願いいたします」

 

 

(注)能楽師にとって節目となる習(ならい)の曲である

「披キ」の演目のひとつ。

「習」とは、特別に伝授されないと上演が許されない

曲・演技・演出のことです。

披キを無事に済ませることで

演者の立場が一段上がってみられます。

技術的・精神的に高い水準が求められることから

稽古を重ねて臨むため、技量はもちろん

舞台への姿勢や人格なども養われます。

「猿に始まり、狐に終わる」という言葉は、

『靭猿』の猿役で初舞台を踏んだ狂言師が

『釣狐』の狐役を演じて一人前になるという意味。