西村兄妹キモノ店

日々のお話

 

西村兄妹の交遊録⑦_茂山宗彦さん【前編】

2020.01.18

 

わたしたちが親交を結ぶ皆様は

異業種の世界で活躍されている方が大半で、

扱うものは違えども

想いや姿勢、考え方などから学ぶことも多く、

気づきや刺激をいただいています。

 

そんな中、今回お話を伺ったのは――

大蔵流狂言師としてお仕事をされながら、

狂言以外の舞台にも立たれ、

テレビにも出演されている人気者!

先日、芸歴40周年を祝うリサイタルで

超満員の会場を湧かせてらっしゃった

茂山宗彦さんです。

 

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ヒロカズ「リサイタルおつかれさまでした。大盛況でしたね」

 

宗彦さん「参観日状態でしたが(笑)、ほんまに有難いことです」

 

MIZUHO「それにしても、40年ってすごいですね」

 

宗彦さん「いやぁ、それしか出来ひんだけですよ」

 

ヒロカズ「僕らもやっと15周年を迎えられて、

続けるってことがどれだけ大変か痛感しています。

だから、40年という長さに驚くばかりです」

 

宗彦さん「才能ある人に囲まれてると、自分にないものが

羨ましいですし、輝いて見えますけど。

いまになってみれば、才能なくてよかったと思てます」

 

MIZUHO「続けることも才能ですよ!」

 

宗彦さん「才能ないから努力するしかないですし、

続けているうちになんとか個性が生まれてきたかな。

不器用だからこそ続けるしかなかったんですわ(笑)」

 

ヒロカズ「そういう意味では、僕は器用貧乏なんです。

だいたいのことはパッと出来てしまうので

どうしても掘り下げるのが苦手で……。

そういったところを妹がフォローしてくれています」

 

宗彦さん「それを人前で言えること自体が、

深いと思いますよ。すごいことやと思います」

 

ヒロカズ「恐縮です。客観的に自身を見つめながら、

どうしていくべきか……。

父親の代から始めた商いだからこそ

『しがらみがない』と前向きに捕らえて進むしかないな、と」

 

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MIZUHO「うちもそうですが、宗彦さんのところも

ご家族、というかご親族で同じお仕事をされてますよね。

苦労とか悩みはありますか?」

 

宗彦さん「そりゃもう、ありまくりですよ!

同じ舞台に立って、終わったら同じ家に帰る。

車の中でも、食事のときも、翌朝になっても

怒られますから(苦笑)、切り替えなんて無理でしたね」

 

ヒロカズ「そういった関係が変化したきっかけはあったんですか?」

 

宗彦さん「やっぱり客演に行くようになってからですね。

違う環境でのことは、親父にも分からんので

良いところを探して、それを余所で言うんです。

それがまわり回って耳に入ってきたりしてね。

テレビに出るようになったのも大きかったですね。

それは弟の方が先やったんで、あれこれアドバイスしてくれて……。

線引きではなくお互いの会によるポジションの変化から

親子のキョリを取れるようになったかな。

3人一緒の時間も勉強やったなぁって、いまなら思えます」

 

ヒロカズ「物理的に離れると少し引いた目で見られるようになりますね。

僕は24歳のときにキモノの仕事を始めるにあたって

一人暮らしをしたことが大きかったと思います。

それに、20代後半から介護の会社を立ち上げたので、

父と社長同士として話が出来るようになりました」

 

MIZUHO「私は、東京に住まいを移したことですね。

両親のご縁が及ばない新しい場所で

自分のお客様を見つけたり、何もないところから

西村兄妹のファンをつくったり……。

さらには、念願の東京サロンをオープンして

家族であっても仕事の上では

互いへの依存を良い作用に変えたいと

改めて覚悟しました」

 

宗彦さん「長い時間一緒にいるからこそ、

上手いこといく呼吸ももちろんあります。

今回のリサイタルも、親父と弟やったからこそ生まれた

空気感と間を楽しんでもらえたと思います」

 

ヒロカズ「家族だからこその課題もありますが、

いい化学反応を起こすこともできますね。

41歳にもなってなんですが……

精神的自立を意識させられることがあったばかりで

宗彦さんのお話がとても刺さります」

 

宗彦さん「精神的自立かぁ、僕も出来てるかなぁ(苦笑)」

 

後編につづく